小笠原父島

 小笠原諸島の主島です。島外からの交通は週に一度の船のみで、東京まで片道25時間ほどかかります。東京都でありながら、とても東京とは思えない南国の島です。


 おがさわら丸船内です。


 おがさわら丸の入港日、一週間に一度、島が最もにぎわう瞬間です。人、物全てがこの船でやってきます。


 父島に入港した旧おがさわら丸です。


 一週間分の荷物が満載されたコンテナをクレーンで荷下ろしします。


 旧おがさわら丸の船名標です。


 旧父島港ターミナルです。


 空は晴れていましたが台風接近のため、この日のおがさわら丸は揺れに揺れまくりました。そのため、乗り継ぎ予定のははじま丸は欠航してしまいました。


 父島港にあるイルカの像です。


 島の物流拠点、父島郵便局です。週に一度しか船が来ないので、当然のことながら郵便も週に一度しか届きません。


 小笠原の島々までの距離を記した方向表示板です。硫黄島、沖ノ鳥島など、行きたくても行けない島々の名前が並びます。


 父島には高校もあります。


 父島の中心部にある小笠原村役場です。


 大根山墓地公園です。欧米風と日本風の墓が混在しています。旧日本軍の砲台も残されています。


 夜明山には、第二次世界大戦当時の戦跡が多数残されています。旧日本海軍通信所跡は廃墟化していますが、中に入ることもできました。


 海軍通信所跡の隣にある首なし尊徳像は、爆撃により首をもがれた二宮尊徳像がそのまま今日まで残されたものです。


 境浦は、第二次世界大戦時の朽ち果てた戦艦が残るダイビングポイントです。


 聖ジョージ教会は、米軍統治時代からの歴史をもつ教会です。欧米からの開拓者により拓かれた小笠原には、純粋な日本人でありながら、セボレーさんなどカタカナ姓の方がいらっしゃいます。小笠原は戦後、一時アメリカ軍の支配下にありましたが、その当時も欧米系の方々は島への帰還を許されていました。


 星型のような変わった形をした集落です。


 一週間に一度、おがさわら丸が東京に向け出航する際には、多くの人が港に集まります。


 ここの見送りは日本一盛大で、出航後もかなり遠くまで、観光船が後を追いかけてきてくれます。